論文翻訳・学術論文翻訳・学術翻訳ユレイタスは、翻訳サービスの国際規格ISO17100認証の取得企業です。さらに、情報セキュリティマネジメントシステム(ISO/IEC27001:2013)ならびに品質マネジメントシステム(ISO9001:2015)において、優れた社内体制を整備されている企業に与えられる国際規格ISOを取得しております。お客様の原稿を厳重な管理の下で取り扱い、論文翻訳などあらゆる翻訳の品質を高め、維持する仕組みを備えています。
世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」と賞賛される脳外科医、福島孝徳氏。自ら確立した「鍵穴手術」を用いて行った脳外科手術数は、2007年に2万例を突破した。
20年以上アメリカの5ヶ所の病院を拠点として脳外科手術にたずさわり、患者も病院スタッフも全員ネイティブスピーカーという環境で働いてきた福島氏に、「英語の壁」を感じることなどあるのだろうか?また、伝達ミスが命取りになる医療現場で、英語とどのように向き合っているのか?
この疑問をぶつけたところ、手術行脚で日本を訪れていた福島氏に会って話を聞けることになった。早朝、東京都内のホテルのロビーで待ち合わせ、午前の手術に向かうタクシーの中で話を聞くことに。約束の時間、ロビーに現れた福島氏はすでに駆け足で、「さぁ、行きましょう」とこちらを車中にうながしたー。
編集=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)
―福島先生は、語学に関してはどんな勉強をしてきましたか? 30歳のときに2年間、ドイツに武者修行に出たんです。医学をやるならアメリカだと思っていたけど、指導教授が最初はヨーロッパで勉強してきなさいと。最先端の技術があるのはアメリカだけど、文化のルーツはヨーロッパだから、ドイツに行きなさいというわけですね。
ドイツ語は大学の第2外国語で履修しましたが、使いこなすようなレベルじゃない。そこで、向こうに行く3ヶ月前からみっちり勉強しました。あとはどうとでもなるだろうと。
実際、それで何とかなりました。日本でやった座学はそれほど役に立たず、現地で同僚の医師や看護師らと生きたドイツ語で会話することで、自然にコミュニケーションが取れるようになった。2年後にはドイツ語で演説していましたよ。
その後、48歳でアメリカに移住しましたが、そのとき英語は勉強しませんでした。
―若くはない年齢で渡米を決意し、英語を使って生活を始めることは困難ではなかったですか? 48歳で渡米して以来、私は18年間アメリカで暮らし、アメリカ各地の大学病院で脳外科手術を手がけてきましたが、英語が大変なんて思ったことがない。
いや、ぺらぺら不自由なくしゃべれるということではなくて、その逆です。私はネイティブのようにはしゃべれません。私の英語は、カタコトの英単語をつなげたジャパニーズ・イングリッシュ。日本人なんだから、日本人の顔をして英語やドイツ語をぺらぺらとしゃべるほうがかえっておかしい。
英語のネイティブと話すときには、最初にこう断っておけばいいんです。「I am Japanese, you, please try to understand my Japanese English, please.(私は日本人ですが、きみ、どうか私の日本人英語を聞き取ってください。お願いします)」あるいは、「I hope you would understand my Japanese English, please. If you don’t understand, please let me know.(あなたが私の日本人英語を聞き取ってくださるといいのですが。もし理解できなかったら言ってください)」とかね。
また、自分の言いたいことが出ないときは、「One moment」、「Let me think」、「Give me time」と言って、ゆっくり考えながら話す。
今の英語の発音でわかるだろうけど、私は18年間ずっとこのたどたどしいジャパニーズ・イングリッシュで通してきました。でも何の問題もありませんでした。恥じることはない。ジャパニーズ・イングリッシュ、ジャパニッツアー・ドイッチュ、ジャポネ・フランセ、これで十分。自分の思っていることが人に通じればいい。日本人なんだから「オレは日の丸英語だぞ」と。そういう流儀を貫いてきました。
―日の丸英語で話すのと同時に、相手のネイティブ英語を聞き取ることも重要ですよね。 そう、外国人と話をして一番困るのは、相手の言っていることがわからないこと。確かに、聞き取りには気を使います。
私が渡米したころは、病院内で使える携帯電話のようなものはなかったから、院内放送で「Dr. Fukushima, please call」と呼び出しをかけていたんです。ところが、最初のころはそのアナウンスさえ聞き取れませんでした。仕方がないから、放送があるたび、近くにいる人に「Can you get announcement?」(放送、聞こえます?)と頼んでいました。
―医療の現場では、ミス・コミュニケーション1つが患者さんの命にかかわる事故につながる恐れがあると思いますが、どのようなことを心がけて英語と向き合っていますか? 診察の場で何よりも大切なのは、意思のやり取りの正確さです。とにかく間違いがあってはいけないので、患者さんの言うことが理解できないときは、ネイティブのスタッフを横につけて通訳してもらうときもある。
こちらから患者さんに話をするときにも、相手がきちんと理解しているか、しっかり確認を取りながら話すということも大切です。あなたはこういう難しい病気があって、こういう手術をしなくちゃいけない。しかし、それにはこんなリスクがあります。そういう大事な説明をするわけです。
一番やってはいけないのは、わからないのにわかったふりをすること。これだけはやってはいけない。わからなければ、それをきちんと説明して何度も聞き直さなくてはなりません。「I’m sorry. I didn't understand. Please speak slowly, use easy word. (ごめんなさい。わかりません。簡単な言葉を使ってゆっくり話してください)」あるいは、「I am Japanese. Unfortunately I don't understand your English. Can you write down? (私は日本人です。あいにく英語がわかりません。紙に書いてくれますか?)」と、筆談だっていい。
わからないならそれなりの対策を取ることが重要で、そのうち「ドクター・フクシマは英語ができないから」と、まわりも私に合わせてくれるようになります。私と会話をするときは、はっきりと、易しい言葉で話そうとしてくれます。こういうことを重ねるうちに、私も次第に英語に慣れて、スタッフと問題なく意思疎通ができるようになっていったんです。
―まわりのみんなが合わせてくれるというのは、誰にもかなわない手術の技術があればこそ、ということも大きいんでしょうね。 脳外科ってのはね、単独戦なんですよ。チームプレーを大事にする心臓外科とは対照的。心臓外科にももちろんスタープレイヤーは必要だけど、それだけではだめで、第1助手、第2助手、移植コーディネーター、そういうまわりのチームができていないと患者さんの命を救えない。
脳外科は、手術する医師1人の腕で患者さんの運命が決まるんです。だからスポーツでいうと、よく心臓外科はバスケットボール、サッカー、野球で、脳外科はゴルフにたとえられます。
アメリカでも、私が手術を1回やれば全員黙ってしまう。「ドクター・フクシマ、なんかへったくそな英語でしゃべっているけど、すごい出来だなあ」と。むしろ言葉はいらないですね。自分の技術を見せればいい。自分の仕事に自信を持たないとだめですね。
そのほか、医療現場で英語を使うときに気をつけていることといえば、これは私は過去に何度も失敗していますが、その場の感情にまかせてきつい言葉を使わないこと。
とくに脳外科は人の命がかかっているので、研修医などに厳しいことを言うときもあります。でも、絶対にケンカしてはいけない。ディスカッションはいいけれど、とにかく、avoid fight(争いを避ける)。はっきりモノを言うのがアメリカだと思ったら大間違いで、アメリカで絶対に言ってはいけない言葉というのがあるんです。
たとえば、麻酔科のあの人がミスをした。そのとき「You made a mistake. (ミスしたね)」と言ってはいけない。次から麻酔をかけてもらうときに大変な人的摩擦が起きる。また、自分はあなたに対して「angry」であるとか、「unhappy」であるとか、そういう言葉を使ってもダメ。そういう場合は、「I am uncomfortable. (私は違和感を感じています)」とか「This condition, I feel I have difficulty to accept. (この状況、私は受け入れがたいと感じています)」などと言ってもいいですね。「物は言いよう」です。
要するに、英語の言葉には「語調のきつさ」のレベルがあって、ネイティブではない日本人には、たとえば「uncomfortable」と「unhappy」のどちらがどれくらいきついのかが感覚的にわからない。よりマイルドな表現を学んでいくしかありません。英語には、一言で相手を傷つけるような言葉もありますからね。究極的に悪いのは、「You stupid. (ばかだな)」とか「idiot(ばかやろう)」といった言葉。その一言で人間関係が崩壊してしまうことがある。そういう言葉を使う人は、自分自身もプロフェッショナルとして信用されなくなります。
―人の命を左右するような真剣な場では、医師たちの怒号が飛び交っているイメージがありましたが、そうではないんですね。 うん、そんなのはダメ。私はいつも徳川家康になろうと心がけています。
どういうことかというと、リーダーとしてどうあるべきかということをアメリカ人に説明するとき、私はこんなたとえ話をよくするんです。
日本には、3人の有名なShogun(将軍)がいる。一人は織田信長。彼はとてもアグレッシブである。何ごとにも直情的で、強さをむき出しにするタイプだと。もう一人は、豊臣秀吉。彼は賢く、権謀術数を事とし、人を操るのがうまい。3人目は、徳川家康。彼は辛抱強く、難局にも動じない。常に座して待つ姿勢を崩さない。
そこまで説明して、気性の激しい私は織田信長タイプの人間なんだと言います。だけど最後に成功するのは徳川家康タイプのリーダーだと思っているので、徳川で行こうと自分を常に戒めていると。
医療現場で誰かがミスして足を引っ張るなどの腹の立つことがあったとして、「このやろう~。絶対に何か言ってやる」と猛烈に怒っていても、「徳川で行こう、徳川で行こう」とまず耐え、一日時間を置いて冷静になってから、翌日にものを言うように努めています。
―タクシーが病院に着いたようです。 せっかくだからあなた、手術も見ていきなさいよ。
―よろしいんですか? ええ、どうぞ。白衣を持ってきますから、それに着替えてください。
―(手術を終えて)大変、興味深い手術でした。三つの部屋で並行して行われている手術を先生が部屋を往復しながら監督していくんですね。 ええ、この方法で一日に平均5人、多いときは10人近くの手術をします。脳外科の手術のステップは、易しいので5段階くらい、難しいのだと10段階くらいありますが、段階を追って確認しながら、私でないとできないような難局面に私が執刀するわけです。
アメリカでも同じです。ウエストバージニア大学にも手術室が三つあります。デューク大学では一つで、午前と午後に分けて2件ずつやったりします。
アメリカの医療レベルは概して高いですが、アメリカには、うち(福島孝徳記念クリニック)のドクターほどがむしゃらに働くドクターはいないですよ。手術の途中でも平気で休憩して、「人間は2、3時間おきに休まないと精神的、身体的な集中力が欠けるから、かえって能率が下がるんだ」なんて変な口実を作ってね。
ー午後には回診をして、夜は講演会があるそうですね。そして明日も朝から手術…。 私のカレンダーに余暇はありません。月月火水木木金金。1週間に8日働くつもりで生きています。唯一の楽しみは、飛行機の中で寝ることくらいですね。さすがに移動中は手術をするわけにはいかないから、本を読んだり、音楽を聴いたり。それに飽きたとき、眠りに身をまかせる瞬間が何とも言えないです。
―そこまで精力的に活動させる原動力は何ですか? それはもう、患者さんの感謝の声を聞くことしかないです。その喜びの声だけが頼りで生きています。私のところに来る人は、他の医者からさじを投げられた人ばかりなので、きれいに手術を仕上げられたときはその喜びも大きいし、患者さんの期待に応えられたことをうれしく感じます。
それでも、毎日毎日、一日の終わりにはその日を振り返って、こう自問します。「おれは本当に100%の仕事をやり遂げたのか」と。文句なくうなずける日は一度もないですね。100%の仕事ができるのは神様だけですから。われわれ人間がどれだけベストを尽くしても、できるのはせいぜい99%くらいです。
―患者さんを救いたいという使命感や、ご自身の技術への絶対的な信頼を拝見すると、英語の壁などちっぽけなものに思えてきます。英語に自信のない人のために何かアドバイスはありますか? 一つ目のアドバイス。もし英語がぺらぺらになりたいんだったら、子どものうちからやらなければダメです。できれば小学校に入学する前から英語に親しむべき。3歳くらいの幼稚園児にネイティブと話をさせるのが一番いい。それを過ぎると頭が固くなっていって、素直に外国語を受け入れられなくなってしまいます。幼いころは母国語である日本語のみを徹底させるべきという考えはおかしくて、たとえばベルギーで育つと、英語、ドイツ語、フランス語ができないと友だちと仲良くできません。中には7ヶ国語とか8ヶ国語をしゃべる人が平気でいる。これがヨーロッパの文化。そういう環境が語学力を育てるんですね。
二つ目のアドバイス。文法をまず忘れなさい。英語を文章で言うのをやめなさい。主語がどれで、主語が三人称だから動詞はこう変化して……なんて頭で考えたらダメで、「Today, good weather!(今日、いい天気!)」。こんな単語の羅列で十分です。
もう一つ、最初にも言いましたが、日本人の誇りを持ってジャパニーズ・イングリッシュを話しなさい。自分がしゃべるときは、「オレは日の丸外国語だぞ」と前置きをする。
かつて、大平正芳首相は英語を話しました。たどたどしい発音だった。国連では、英語の話せないアフリカ勢が、ものすごいお国なまりの英語で堂々と話している。でも通じるんです。私は英語をうまくしゃべりたいと一度も思ったことがないですね。とにかく「通じたい」。それだけです。
1942年、東京都生まれ。東京大学医学部卒業。ドイツ留学を経て、78年、東京大学付属病院脳神経外科医となり、80年、三井記念病院脳神経外科部長に就任。頭部に1円硬貨ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除、縫合する「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」を確立。「超微細脳外科手術」と呼ばれるこの手法により、通常の手術に比べて大幅に患者の負担が軽減され、世界中の患者から絶大な支持を受けた。臨床よりも論文の数や人脈によって医師としての評価が決まる日本の医学会に疑問を持つようになり、48歳で渡米。UCLAを経て、南カリフォルニア大学医療センター脳神経外科教授に就任する。現在、脳神経外科の最高峰といわれるデューク大学脳神経外科教授。2007年には日本での活動拠点となる「福島孝徳記念クリニック」(千葉県・茂原)を設立。手術のために世界中を駆けめぐりながら、後進の育成や新しい手術器具の開発などにカを注いでいる。