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ビジネスから装い、話し方など各シーンにおける女性の振る舞い方を示したベストセラー『女性の品格』の著者として知られる坂東眞理子氏。内閣府の女性官僚から始まり、埼玉県副知事や在外公館の総領事を経て、現在は大学の学長という、女性の社会進出の歴史を象徴するような輝かしいキャリアを積んできた。
坂東氏は1980年代、女性のキャリア形成の実態を研究するためにアメリカ・ハーバード大学に単身留学し、現地のキャリア女性たちと親しく付き合い、生涯の友人を得ている。
また、90年代後半に総領事として滞在したオーストラリアで築いたネットワークも、10年の歳月を経て今もなお交流が続いているという。これまで、英語を友好関係を構築する道具として使ってきたという坂東氏に、英語を使うときの流儀や心得をうかがった。
編集=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)
私は東大を卒業して公務員になってから、1978年にカナダで半年、そして80年から81年の1年間、アメリカのハーバード大学の客員研究員として生活した経験があります。
なぜ海外へ行ったかというと、日本政府の役人として海外で活躍している女性が少なかった当時、英語力を鍛えれば私にも何か可能性が広がるのではないかと思いましたし、また、女性行政を学ぶためには、日本より女性の社会進出が進んでいる海外で生活してみることが必要だと思ったんです。こうした経緯から、ハーバード大学に留学することを決めました。
そのときにボトルネックになったのが、やはり英語です。私はもともと、英語はあまり好きではなかったんです。富山県で生まれ育ち、日本人の先生からしっかりと日本語なまりの英語を習ったので、発音にはまるで自信がありません。このころに発音の基礎を教わっておけば、もう少し上手に話せただろうになあという劣等感をいつも持っています。
渡航前は、付け焼刃ではあったけど必死に英語の勉強をしました。私は昔から試験直前の一夜漬けは得意で(笑)。このとき、通産省(現・経済産業省)に勤める私の尊敬する方からいただいたアドバイスを今でもよく覚えています。「日本の官僚の中で、英語が得意だと自介で思っているのは、Aさんと、Bさんと..」と、3人ほど名前を挙げて、「それ以外の人は全員、自分の英語が下手だと思っているから、気にすることないよ」って。だいぶ心が慰められました。
ニューヨークのケネディ空港を経由して飛行機を乗り換え、ハーバード大学のあるボストンへ。空港に降り立ってタクシーをつかまえて、運転手さんに下宿先のアパートの住所を伝えたところ、これが口で言ってもまったく通じないので、結局紙に書いた住所を渡しました。どこへ連れて行かれるんだろうと不安に駆られましたね。アパートらしき建物の前で下ろされ、ひとりぼっちで重い荷物をえっさえっさと運びこみました。
ボストンにまだ総領事館がない時代でしたし、しかも私は勤めていた役所とは関係なく個人的に応募して留学したので、現地には知っている人が誰もいなくて、本当にひとりぽっちでした。平たく言えば、丸裸で発び込んだ。なんとかなるだろうと思って発び込みましたが、まあ、ほんとになんとかなりましたね(笑)。
しばらくアパート暮らしをしましたが、1人でつまらないし、これでは英語も上手にならないだろうと思い、大学院生の寮に入れてもらいました。カフェテリアなどでたむろしている学生を相手に話して、英語の実地体験を試みました。ヒアリングは次第に慣れましたが、やはり一番のハンデキャップは発音です。気の利いたことを言ったつもりでも、発音のせいで通じないことがしょっちゅうでした。悔しくて、情けなかった。会話を紙に書いたりもしました。発音には本当に苦労したけれど、結局、今に至るまでジャパニーズ・イングリッシュ。「通じる」ようにはなるけど、なかなか上手にはならないですね。
また、自分が英語の本や新聞を読む速度が遅いことにも閉口しました。日本語と比べて5、6倍の時間がかかります。日本人の頭には、集中しないとアルファベットという記号が意味を成して入ってこないですよね。だからといって、無理してでも英語を読まないと上達しないから、新聞なんかイライラしながら毎日読んでいました。
しかし、私のようにこんなに英語が下手であるにもかかわらず、人のいいアメリカ人はなんて親切なんだろうと感動することも多くありました。逆に、私は日本語が下手な外国の留学生にこれだけ親切にできるだろうかと自問するくらい。
生涯を通じてお世話になる友人たちにも、ハーバード時代に出会いました。ホストファミリーのメアリーさんや大親友のルーシーなど、今でも30年来の友人として私を支えてくれています。
ホストファミリーのメアリーさんは、大変よく私をお世話してくださったけれども、「施された恩は、すぐに恩返ししなくていい。マリコが将来、困った人を助けることができるようになったときに助けてあげれば、それでいい。それは今、私に直接恩返しするのと同じことなのよ」って言ったのね。すてきですよね。私も人の役に立つようなことをしなくてはと、触発されました
また、私がアメリカへ行った80年代初頭という時代は、ちょうど女性たちの企業や社会への進出が目立ってきたころでした。
私はボストン近辺の会社のナンバー2レベルの女性や、ハーバードビジネススクールに通う女性たちにもインタビューをして、『Women in decision making position(女性の政策決定の参加)』というテーマで論文を書きました。元気な彼女たちの生き方に私も元気をもらったし、戦略的な人生設計にも影響を受けました。
たとえば、「Establish career first, after I have a family.(キャリアを形成したのちに家庭を持つ)」という考え方の女性が多かったので、つい私も影響されて、アメリカから帰ってきて、37歳でもう1人子どもを生んだんです(笑)。第1子とはちょうどひと回り、12歳の差があります。ちなみに、私が37歳で生んだあと、38歳の親友のルーシーも影響されたのか初めての子どもを生んだんですよ。
アメリカでの生活は、かくも私の人生や価値観を大きく変えました。
次に私が海外に長期滞在したのは、1998年から2000年まで、オーストラリアでブリスベン総領事館のトップとして赴任したときです。初の女性総領事ということでオーストラリアの人々から大歓迎され、講演などにひっぱりだこで、マスコミにもしばしば取り上げられました。
総領事の仕事には、日本の代表として英語でスピーチする機会がけっこうあります。スピーチの前にはデータや情報を集めて、こう言ったら聴衆は受けるかなとイメージし、構成も考えて、台本を作ってから臨みました。さらにネイティブのスタッフに英語をチェックしてもらって、事前に声に出して読んで予行練習しました。日本語のスピーチなら、柱立てだけ事前に考えておけばぶっつけ本番でも大丈夫ですが、英語のスピーチはこうした丁寧な努力が必要です。
何度もスピーチを重ねるうちに、いいスピーチをするための秘けつがわかり始めました。きれいな発音をしようと意識をとらわれるよりもむしろ、内容を深く理解して、言葉を自分のものにして、このことについては私は誰よりも詳しいんだという自信を持つこと。そうすることで言葉に「迫力」が出るんです。
英語を学習するときも同様。まず、自分のよく知っている事柄、たとえば仕事がらみの英語から進めればいいというのが私の持論です。
私だったら、自信を持って語れる得意分野といえば、女性政策です。29歳のときに総理府の婦人問題担当室に加わったことを皮切りに、私は常に女性の生き方に興味を持ってきました。 『女性の品格』を含めて、著作の多くが女性関連です。
今、英語を学ぶ目的が、英語を話したいからとか外国の人と友達になりたいからという若い人が多いようですが、これは間違いで、まず目指すべきは「ビジネスができる英語」、「仕事ができる英語」。極端なことを言うと、日常会話なんて不自由でもかまわないんです。自分はこの分野だったら、相手に耳を傾けさせるだけの中身のあることが英語でも話せる、という得意分野を持ち、できればそれを外国の人に発表する実践の機会があればいいですね。
私の場合は、総領事として日本を紹介するスピーチの場がそれでしたし、また、外国から日本へ来たジャーナリストの方々に、英語で日本の紹介をするという仕事をボランティアで引き受けたりもしていました。人に語って聞かせることを重ねるうちに、表現を変えるなどアレンジが利くようになって、英語も磨かれたように思います。
私はこれまで、外交や駆け引き、ビジネスなどではなく、友好状態を作る、友だちになるという目的で英語を使ってきました。
ハーバード時代には、ひとりぼっちのスタートから始まって、今でも私を支えてくれるメアリーさんやルーシーといった生涯の友を得ました。
総領事時代には、オーストラリアは日本にとって大事なパートナーになる国だと信じていましたから、かの地にたくさんの日本のファンをつくることを使命としていました。ですから、公邸に閉じこもっていないで、なるべく現地の人々と交わるように努力したし、多くの人を公邸に招きました。そうした活動の中でたくさんのネットワークが生まれ、今でもこのとき知り合った女性たちが年に2回ほど「Mariko's network」という集まりを催して、旧交を温めているそうです。
私にとって英語とは、相手との友好関係を作るための大事な道具。英語を使うときには、ジャパニーズ・イングリッシュでもいいから、きちんとした言葉遣いをするということを心がけています。背伸びして気の利いた言い回しをせず、流行の言葉やスラング、品のない表現は使わない。また、自分の気持ちに忠実な、正確な言葉を選ぶ。それが私にとっての「英語の品格」です。
そして繰り返しになりますが、話す内容に実があることが大事。自分はこの話題だったら相手から一目置かれる、相手に耳を傾けさせるだけの中身のある話ができるという分野をもち、それに磨きをかけていくこと。
みんな英語には苦労しているんです。私は、自分は英語が上手にしゃべれるという確信を持った瞬間は、まだないです。これから?一生その瞬間が来ることはないと思いますけどね(笑)。でも、せめてもう少し上手になって、ルーシーあたりから、「Your English is improving!」(英語、上達してるじゃない!)って言われるとうれしいですね。
1946年、富山県生まれ。東京大学卒業。69年、総理府に入省し、内閣広報室参事官男女共同参画室長、埼玉県副知事等を経て、98年、在オーストラリア・ブリスベン総領事に。2001年には内閣府初代男女共同参画局長に就任。03年に退官し、翌年から昭和女子大学の教授として教鞭をとるかたわら、同大学女性文化研究所長を務める。07年、同大学学長に就任。16年からは同大学理事長を務める。女性の生き方に関連する著書を数多く発表。主なものに『女性が仕事を続ける時』(日本コンサルタント・グループ)、「米国きゃりあうーまん事情」(東洋経済新報社)、そしてベストセラー『女性の品格』(PHP研究所)に続いて刊行された『親の品格』(PHP研究所)などがある。