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待ち合わせ場所に、軽いステップで表れた金田一秀穂氏。 金田一京助氏、金田一春彦氏という偉大な日本語研究の大家を祖父、父に持ち、自らもテレビや雑誌などで八面六臂の活躍を見せる日本語学者である。 しかし、日本語の専門家でありながら、アメリカ・NYに4年も住み、日本語教師として働いた経験を持つことを知る人は、どれだけいるだろうか。国語学者は、ニューヨーカーを相手に英語とどう闘ったのだろうか? |
1983年、30歳のときに日本語の教師になって、最初は中国で教えていました。半年経った頃にイエール大学に勤める友人から、日本語教師の後任にどうかという話があり、当時はブルガリアやモンゴルなど他にも行ってみたい国があったのですが、幼い子どもの安全を考えて、アメリカに行くことにしました。
イエール大学に2年、そのあとコロンビア大学に1年いて帰国し、そのあと1994年に再度渡米してハーバード大学に1年いたので、アメリカにいたのは合計4年間。英会話は苦手です。しかし、日本語教師というのは、外国語は必要ないんですよ。むしろ話さない方がいいぐらいで、外国語を使わない日本語の教授法を習得していますから、教壇に立っているときには、英語力の問題はありませんでした。
また、イエール大学に就任して早々にパーティーがあり、出席してみると、英語がわりと通じる。ぼくの英語がヘタクソなので、先生方が易しい英語で話してくれるとあとから気づきましたが、「なんだ、英語、問題ないじゃん!」と安心していました。
当時の収入は、家族4人で月1,000ドル(当時の価格で月10万円程度)。生活保護レベルだということで、外食せず、毎日家で食事をして暮らしていましたが、たまにはお昼ご飯を外で食べたい!と、出かけた先での出来事です。
具材を自分で選ぶサンドイッチチェーンとして有名なサブウェイ。アメリカのサブウェイは、容赦しない(笑)。「Give me a sandwich, please」と頼むと、「Sure」と言うだけでじーっと黙って動かない。次の指示を待っているのかなと思い、ハムサンドイッチにしようと「ハーム」と言う。でも、ハムの発音が難しい。ネイティブの発音でHamと言わないと、もう作ってくれません。
パンの種類は何にするか、バターはどうするか、マスタードはどうするか、トマトは、キュウリは、チーズは…そういうことをネイティブ発音で言わないと、相手が動かないんですよ。当時サブウェイは日本になかったので、ぼくはどうすればいいかわからないし、後ろにどんどん人が並ぶし、緊張するわ、恥ずかしいわ。10分以上かけてどうにかサンドイッチを作ってもらい、逃げるようにして店を出ました。
外国語では、単語、文法、発音が大切というのは当たり前ですが、「トピックを予想する」ことも大事。そば屋に入って突然、「そばの原産地はどこのにしましょう?」と聞かれたら、たじろぎますよね。パンの種類まで言わなければならないと事前に知っていれば、一生懸命準備して臨んだはずです。その場にどんなトピックがあるかを知る。現地で暮らすというのはそういうことなのだと思い知りました。そういうことは学校では教えてくれませんから、サブウェイでぼくは、大嫌いなライ麦パンの、バターも塗られていないサンドイッチを食べるはめになっちゃった。そのうち、たいていの店に置いてある「クロワッサン」だけ覚えておけばいいということを学びました。
アメリカ人はよくしゃべります。アメリカ人は、日本人のパーティーは「ごはんがいっぱい食べられるから好き」とよく言いますが、たしかに、アメリカのパーティーで出てくるのは、チーズとディップぐらい。メインは、食べることではなく、しゃべる、そして新しく友達ができること。それがアメリカのパーティー。そこで一番大切なのが、雑談です。スモールトークといいます。
これを、言語学の用語では「ファティック(phatic)」と言います。それは、挨拶、雑談、スモールトークなど、ことばを発することが目的であって、そこで何が語られるかはあまり重要ではありません。インフォメーションが動くわけではなく、人と人とをつなぎあわせることば、そういうことばの使い方です。
日本にいるとあまり感じませんが、アメリカに行くと、ファティックを強く感じます。パーティートークや無駄話によって人々が精神的に結ばれて和やかになる、そういうことばの機能というのが実はとても大切で、アメリカはそれを生かしているというのを感じました。それは新鮮な発見でした。
テレビで首脳会談などを見ると、写真撮影前に皆で廊下を歩くときに、各国の首脳たちがよくしゃべっていますね。「今度のロイターのカメラマンは美人だなあ」とかなんとか、絶対に意味のないことをしゃべっているわけです(笑)。でも、それが重要なんです。ファティックによって人と人とがつながるのです。
サスペンスドラマに出てくるような、取調室の犯人も同じ。「昨夜何をしていたか」と聞かれると答えない。情報を聞こうとする側と渡すまいとする側、そういう関係だとうまくいかない。そこで「カツ丼、食べるか?」と言うと、スミマセンといって犯人が泣き出すわけで、「国のお母さんはどうしてるかな」などと言えば、ハーッと心がつながるわけです。それは、ファティックが生じるからです。
ことばがしていることは、情報の行き返りだけではなくて、もっと大切なことがあるんですね。日本人はそのことをあまり知らないし、日本人がそれを英語で行うのは、とても難しい。
日本人は知り合い同士だったらいくらでもおしゃべりができるのですが、見知らぬ人と意味のない会話をあまりしません。しゃべらないんです、日本人は。
日本人は音声言語をあまり信用していなくて、文字言語を重要視する傾向があります。例えば「表札」があるのは日本だけです。多くの国では住居の表示は番号です。住所がわからなかったらどうするのか、マレーシア人の友達に聞いたら、そこらへんの人に尋ねると言います。夜中に尋ねる人も歩いてなかったらどうするのかと聞いたら、近所の家をノックして、人を叩き起こすと言います。迷惑だねと言ったら、迷惑じゃないと。しゃべるということが嫌じゃないわけです。
日本は、例えば切符を買うのも自動販売機ですよね。料金表も時刻表もあって、休日の時刻まで全部文字で書いてあります。普通は駅員さんに聞くことを全部書いてあるから、しゃべる必要がないわけです。
エレベーターの中で夜8時に人と出会ったときにおしゃべりをするか、と尋ねると、たいていの国の人たちはしゃべると言います。夜の8時、男性が若い女性と一緒になったら、絶対にしゃべらなくてはいけないそうです。怖くなりますから、安心させるために「今日は寒いね」などと言わなくてはいけない。日本で乗り合わせた人が「寒いね」って言ったら怖いでしょ(笑)。日本人以外では、ぼくが知っている限り、エレベーターのなかで話さないと言ったのはミャンマー人だけです。
中国人や韓国人は英語が達者と言います。それは、ファティックができるからです。知らない人と話すのに慣れています。人懐っこくておしゃべり、ということです。
では、日本人はファティックをトレーニングしたほうがいいのか?
大阪のおばちゃんは人懐っこくておしゃべりとよく言いますね。皆が大阪のおばちゃんになればいいのか?しかし、そうするとこの世の中うるさくてたまらないですよ(笑)。奥ゆかしさとか、おもんぱかりとか、心配りとか配慮とか、忖度するとか、そういう良き日本文化は残したほうがいいと、ぼくは思っています。
ファティックに慣れていない日本人にとって、学会のパーティーなどでの交流が苦痛だということは、よくわかります。ぼくの経験では、とりあえず、自分の発表に対して質問してくれた日本人以外の人のところへ行きます。それで、「さっきは質問をありがとう」、「どこから来たの」、など他愛のない話をする。そして、パーティーや懇親会では、食べ物の話がいちばんうまくいくことを学びました。
例えばその人が、「ミネソタから来ました」と言います。そしたら、「“ミネソタの卵売り”という歌があるだろう。知っているか?」と尋ねます。「そんな歌は知らない」と言われたら、歌ってあげてもいい。「ボストンから来た」と言えば「いまだにボストンバッグというのはあるのだろうか?」と聞いてみてもいい。「ハンブルグからきた」といえば「ハンバーグステーキはあるか」とか。「ウインナーコーヒーと言うが、そんなコーヒーはあるのだろうか」など、そんな話をします。そうすると先方はおもしろがって話に乗ってくれます。
食べ物の話が一番、罪がなくていいです。ただ、自分自身の知識量がとても大事です。しゃべるべきことがない人は、しゃべれないですね。やはりそれは、「人間力」という言い方は好きではないですが、それが問題になります。どこまで自分の好奇心を磨いておくか。相手の国のこと、あるいは自分の国のことをどこまできちんと知っているか、それがとても大切なことです。
日本でパーティーに参加した外国人は、よく「なんで日本人は警察みたいに聞くんだ」と言います。おまえはどこから来たか、何しに来たか、いつ来たか、兄弟はいるのか、家族は何人か、休日は何をしているのか、質問攻めにしてくるからウンザリするのだと。あれは別に、聞きたくて聞いているわけではないのだという話をします。時間をつぶさなくてはいけないから、必死になっているだけだと。外国の人には、「もしそういうふうに日本人が聞いてきたら逆にあなたが聞いてあげればいい。そうすると日本人はホッとするに違いない。」と勧めています。「納豆は食べられますか?」と日本人に聞かれたら、「食べられますよ。あなたはどうですか?」と聞き返す。そうすれば、話すべきことが与えられて日本人はホッとします。
帰国子女でバイリンガルの人は、ファティックは上手です。ただ、逆に、ちゃんと中身のあることが言えない場合があります。子どもの頃に英語圏で生活したのであれば、その時期までの英語でしか言えないわけですから。どちらの言語でも高度の思考をすることができないことになります。
母語というのはオペレーションシステム(OS)のようなものですから、OSがきちんとしていなければなりません。それが、どちらも中途半端になる危険性があるので、ぼくはバイリンガル教育はあまり賛成しません。1つの言語でオペレーションシステムをきちんと身につけておいた方がよいと思います。日本人は英語を15歳ぐらいから学び始めればなんとかなると思います。母語にはなりませんが、自然な英語を発音できるようになります。ジャパニーズ・イングリッシュでも問題ありません。日本人は、算数を英語で学ぶなんてことをしなくていいと思います。
現在、世界の共通語として話されている英語も、長いスパンでみれば変化していくでしょうね。もっと易しくなるんじゃないですか。期待してますよね(笑)。3人称単数のsとか、そういうのは絶対いらないと思いますよ。動詞の時制、go, went, goneなんていらないよ。「Yesterday, I go」でいいじゃない!中国語がそうですね。了(ラ)をつけたら過去形になります。皆が使うわけだから、簡単になるでしょうね。
ただ、それは当然、階級世界を作り出すでしょう。本物のクイーンズイングリッシュをしゃべる人がトップにいて、アメリカンイングリッシュが次にいて、オーストラリアイングリッシュがいて、さらにめちゃくちゃなイングリッシュがいて。そういう社会を作り出すでしょう。ことばというのは人のアイデンティティ、エスニシティを示してしまいます。
各国語はもちろん残ります。そして、日本語だっていろいろな人が話すようになれば、めちゃくちゃな日本語になってくる可能性はあります。そういう日本語はいやだという日本人は多いですけどね。英語であればシェイクスピエアの英語とか、レイ・ブラッドベリの英語とか、そういうきちんとした英語が残る。それと同じように、川端康成の日本語とか、三島由紀夫の日本語は残ります。致し方ないことですが、階層社会になるでしょう。
ぼくは、ニューヨークが大好きでした。ぼくが好きな「I miss you.」ニューヨークを去るとき、コロンビア大学で「I miss New York.」と思わず言っちゃったんです。このことばは素敵だなと思います。言ったものの、本当に自分の心情を表せているのか、ちょっとよくわからない。「懐かしい」とか「さびしい」とか「いつも思い出すけど、別れてしまうのはくやしい」みたいな気持ちですね。この気持ちを表すのに、このことばでいいのか、「違うかなぁ」と思いながら。
4年間のアメリカ生活は楽しかったですが、もちろん、日本に戻りたかったですよ。桜餅が食べたくて!それこそ、I miss 桜餅(笑)!ニューヨークでは日本食は高価でめったに口にすることはありませんでしたが、大みそかに立ち寄った日本食の店で、つきたての「のし餅」を見つけて、あまりの嬉しさに買ってしまったんですよね。アパートに持ち帰り、レンジで焼けるのをじりじり待っていたら、けたたましい音で火災警報器が鳴っちゃった。
ニューヨーク生活のなかでも、この桜餅が食べたくて仕方なかったのと、ファティックやメタファーの意味を教えてくれた初めてのサンドイッチの味。今でも忘れません。
……終始、食べ物の話が多かったですが、大丈夫ですか?(笑)
1953年、東京都生まれ。上智大学文学部心理学科卒業後、1983年、東京外国語大学大学院日本語学専攻を修了。1983年中国大連外語学院、1983年〜85年イエール大学、1986年コロンビア大学にて日本語の教鞭をとる。1994年ハーバード大学客員研究員を経て、現在、杏林大学外国語学部教授、政策研究大学院大学客員教授。祖父で言語学・民俗学者の金田一京助、父で国語学者の金田一春彦に続き、日本語学を専門とする。親しみやすいキャラクターでテレビ出演も多く、日本語の魅力を広く伝えている。主な著書に、『適当な日本語』(アスキー新書)、『「汚い」日本語講座』(新潮社)、『ことばのことばっかし』(マガジンハウス)、『お食辞解』(清流出版)、『オツな日本語』(日本文芸社)『金田一家、日本語百年のひみつ』(朝日新聞出版)など。