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1993年、宮城県知事選挙に出馬、当選。全国先駆けの「改革派知事」として、開かれた県政改革を推し進め、3期12年の任期を務めた浅野史郎氏。浅野氏は、知事になる前の厚生官僚時代に、2年間の大学院留学を含む計5年間をアメリカで暮らしている。「政治家のはしくれである以上、口下手では勝負にならない」とし、自ら多弁を自認している浅野氏も、アメリカの大学院では「Silent student(無口な学生)」だったと述懐する。
幼少時代から「ことば」に興味をもち、知事在任中も 『新・言語学序説』という題名で、選挙演説から議会答弁、記者会見にいたる毎日の「言葉の勝負」を雑誌連載でつづっていた浅野氏。アメリカでの英語体験を引き合いにして、日本人と英語の関係を言語学的な視点から分析するとともに、理想的な英語教育のあり方を論じていただいた。
編集=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)
地元の宮城・仙台に堀見英学塾という有名な英語の塾があって、中学、高校時代に通っていました。講師の堀見宗男先生は1900年生まれの明治の男で、85歳まで教壇に立っていたという壮健な方。とても厳しく、いつも手に鞭を持っていらして、たたくわけではないけれどピシッと音を立てる。それが怖くてね。「こら、ばかーっ!」なんて怒鳴られたこともありました。塾には独自の「ホリミメソッド」と言うべきものがあって、これをみっちり仕込まれました。何をやるかというと、英語の丸暗記です。
中学校1年生のときには、単語のスペルを徹底的に暗記しました。たとえば、先生が「What is the meaning of umbrella?(umbrellaの意味は?)」と問いかける。生徒は「傘」と答え、次に先生は「How do you spell it?(スペルは?)」とたたみかけてくる。すると、生徒はすかさず「ユーエムビーアールイーエルエルエー」と答えなくてはいけない。英語を呪文のように唱えさせ、ボキャブラリーを体得させていくんですね。
文法よりもボキャブラリーを増やすことを重視した授業でした。そこでみっちり単語を覚えたおかげで、私は早期に英語の基礎を身につけることができ、英語は常に得意科目の一つでした。
私は東大の法学部に入りましたが、不遇な時代でした。途中で大学紛争があったことも影響していますが、ぶらぶらと遊ぶわけでも、といって勉強するわけでもなく、大学生活を無為に過ごしてしまった。こんなんじゃダメだと思い続けて、早く卒業したくてたまらなかった。新しいページを開くように人生をやり直したいと思っていました。
だから、私は厚生省(現・厚生労働省)という組織に感謝しています。よくぞ私のような劣等生を拾ってくれたと。自分に仕事を与えてくれる人がいて、自分にやる仕事があるということ自体に毎日感謝していました。
入省して1年くらいたったある日、人事院の行政官在外研究員制度のことを知って興味を持ちました。これは、国際化する社会の流れについていくために、各省から希望者を募って2年間の海外留学をさせるという制度です。一省あたり1人か2人、全省で30人くらいが選抜されます。私は真っ先に手を挙げました。まさか役所に入ってまで大学に行けるなんて思ってもみなかった。無意味に過ごしてしまった大学をもう一度やり直し、その挫折感を吹き飛ばすチャンスかもしれないと思いました。つまり私の「敗者復活戦」でした。
また、留学先がイリノイ大学の大学院ということで、アメリカに対するあこがれも再燃しました。幼いころから、短波ラジオでニール・セダカやポーレ・アンカ、コニー・フランシスを夢中で聴いて、尊敬するエルビス・プレスリーの音楽に出会ったのが中学校3年生のとき。英語の歌詞を懸命に聞き取って意味を調べた思い出もあって、アメリカで生活することに特別のあこがれがあったんです。
アメリカに渡って「敗者復活」を果たせたかというと、簡単にはいきませんでした。
まずショックだったのは、アメリカ大陸へ渡る飛行機が経由地のハワイ・ホノルル空港に降りたとき、そこで交わされている英語が一つも理解できなかったんです。観光バスに乗っても、案内がまったく聞き取れない。さすがに不安になって、隣のおばさんにカタコト英語で話しかけてみました。オハイオ州から来たそうで、私が案内の内容を理解できないことを打ち明けると、「大丈夫!私もわからないから」なんてジョークまじりで慰められたりして(笑)。こんな調子で大学院の授業を受けられるんだろうかという不安は収まりませんでした。
実際に大学院の授業に出てみると、教授の言うことの8割は理解できたので少し安心しました。また、英語の記述力も及第点であることがわかりました。当時はレポートの提出が多くて私は図書館で膨大な量の本を読み、本の表現を真似て四苦八苦しながら英文を書きました。寮と教室と図書館の三角形を行き来して、よく勉強しましたね。
そのころ、留学生に英語を教えてくれるネイティブの先生がいて、その先生にレポートを見せたときに、「なんでこんな立派な英語が書けるんだ?むしろアメリカの学生よりもちゃんとした英語を書く」と言われました。びっくりしましたが、あながち冗談でもなかったようです。
このようにヒアリングもライティングも及第点でしたが、私が何よりも苦労したのが、スピーキングです。アメリカの大学というのは、単に教授が教壇に立って講義をするだけではなくて、生徒に質問をしたり、教室全体でディスカッションをしたりする授業も多いわけですが、私はその中で何も発言できない「silent student(無口な学生)」になっていました。英語を話せないわけではないのに、発言する勇気が出てこない。
今にして思うに、当時の私に足りなかったのは「度胸」なんですね。自分の英語が通じなかったらどうしよう、しゃべり始めて言葉が出てこなかったらどうしようと、口を開く前から臆病になってしまい、変な完ぺき主義に陥り、その結果「silent student」になっていた。1対1のマンツーマンなら少し気楽に話せるので、後日、担当教授と面会する機会があったとき、「きみはそんなにしゃべれたのか」と驚かれたほどです。
もともと私はおしゃべりな人間で、無口や口下手とは正反対。言語的な才能は人よりも上だと思ってきました。その理由として考えられるのが、私に姉が二人いたことが大きいと思います。二人というのがポイントで、二人なら会話が成り立つ。つまり、彼女らが読み、書き、話し、聞くときに、私はいつも「門前の小僧」よろしくその場にいて、年齢差のある一つ上の言語生活というものに常に触れていたんです。それに、二人にからかわれて口げんかして、負かされて、泣かされて(笑)。向こうは女子でペアを組んでいますから、私にはもともと分の悪い勝負だけど、負けてばかりでは悔しいので一生懸命、言葉の訓練をしました。そのおかげで、小学校に入る前から新聞に書いてあることはあらかた読めるほどになっていました。
言語能力に自信を持っているからこそ、英語を話す場でも、自分の言語パフォーマンスに対する要求が高いんだと思います。「日本語だったら気の利いたことを言ったり、冗談を飛ばして笑いをとったりできるのになぁ」と思ってしまい、すごくもどかしいわけですよ。
ただ、私は別に英語が壁であると感じたことがありません。だから、壁につまずいたとか、乗り越えたという意識もない。何をもって「壁」とするか、人によって違うと思います。
日本人が英語で何かを言おうとするときは、まず日本語で考えて、それを頭の中で英語に翻訳し、翻訳した英語を口に出す、これが英語をしゃべるプロセスです。英語が上達することは、この翻訳のスピードを上げていくということ。十代の幼いころに英語環境に置かれれば、翻訳を介さずに、最初から英語で考えて英語でしゃべるようになると思いますが、大きくなってから英語を習得する人は、すでに蓄積されている日本語がじゃまになって、翻訳にかかるスピードが鈍くなってしまいます。
私がそれを実感したのが、車の運転です。私は日本で運転をしたことがなくて、アメリカで免許を取りました。初めて車で走ったのがアメリカの道路。時速はキロではなくて「マイル」。ガソリンはリットルではなく「ガロン」で学習しました。1ガロンで20マイル走るとか、そういうことを頭にたたきこんだわけです。日本に帰ってきて運転したとき、私は「逆に翻訳」している自分に気づきました。「時速100キロっていったらああ、マイルでいうと60マイルだ」とかね。カラダはマイルで覚えているわけです。
言語というのは、このようにシチュエーション(場面)と密接に結びついているんです。たとえば、冷たいものに触ったときに「cold!」と誰かが叫ぶのを見ていて、こういうシチュエーションのときにこの言葉を使う、ということが身体的な体験として蓄積されます。それがやがて自分の言語世界の構築につながっていきます。
最初に私がアメリカに行ったのは24歳。このころにはもう、シチュエーションが日本語と結びつく言語世界が、自分の中で揺るぎがたいものになっています。日本人は二十歳を過ぎるまで海外でまとまった期間を過ごしたことがなければ、その後いくら英語を猛勉強しても、英語のネイティブになるのは無理です。
これが人から見れば「英語の壁」ということになるのかもしれません。でも私は、外国語を習得するということは、ボキャブラリーを増やして、頭の中の翻訳にかかる時間を0コンマ数秒ずつ縮めていくゴールのない道のりだと最初から思っているから、そもそも壁として認識していません。
いまや大勢の人が英語を国際語として使う中、日本人の英語力は危機的とも言える状況なのではないかと私は真剣に心配しています。
たとえば、アメリカの大リーグに渡った野球選手が記者会見をして、「ぼく、あまり英語は得意じゃなくて」と言っている。厳しいようだけど、職業人として野球生活をやっているどこかで、いずれ大リーグにと意識したのであるなら、英語は必須なんですよ。本当は、大リーグに挑戦する選手が日本語しか話せないことを、みんな不思議に思わないと。日本人は英語ができないのが当たり前みたいなことになっている、そのこと自体に対する危機感を感じます。
これは友人から聞いた話ですが、オーストラリアに競馬の騎手になるための学校があって、日本の高校生くらいの年齢の生徒たちも何人か入学しているそうです。当然、最初は英語をうまく話せない。しかし、3カ月もしないうちに自然に英語を使えるようになるそうです。
この上達の早さの理由は二つ考えられます。一つは、現地で生きた英語に触れているということ。先ほど述べた車の運転と同じで、馬を操るときに「レフト」とか「ライト」と指示することを、彼らはシチュエーションと言葉をセットにして覚えるわけです。そしてもう一つは、騎手としての技術を高めるためには、英語が絶対に必要不可欠だということ。 結局、言葉というのは道具なので、英語をうまく話すことを目的として英語を勉強しても進歩に限界があります。ではどうしたらいいかというと、私は英語を身につけることのインセンティブ(動機)を作ること、つまり動機付けが重要だと思います。今、例を挙げた騎手の卵たちにも、英語を学ぶ切実なインセンティブがある。だから英語を勉強する態度もおのずと違ってくるんです。
日本人が英語を学ぶインセンティブという意味において、私は今、アメリカのオバマ大統領(当時)に非常に期待しています。
私はオバマ大統領の演説のすばらしさに感動します。キング牧師の 『I have a dream』のような名演説もそうですが、優れた英語の演説は、「歌」なんですね。発声の強弱や「間」、発音、彼自身のたたずまいなど、すべての要素をひっくるめて、歌を聴くような心地よさがある。スピーチ原稿を読んでも、また涙が出るほど感動します。アメリカの指導者や政治家たちが国家を引っ張っていくパワーは、もろに言葉の力から生まれるものであることがよくわかります。 オバマ大統領の演説集が日本でベストセラーになっているそうですが、多くの日本人が、彼の英語の持つ力に魂を揺さぶられて、自分もこのようにしゃべりたい、あるいは、彼が何を言っているのかを英語で知りたいという気持ちを持ったからでしょう。
これは英語との幸福な出会いであり、英語を学ぶ効果的なインセンティブです。楽しんで演説を真似ているうちに英語が身近なものになり、そうして覚えた英語は一生忘れないはずです。
それとは対照的に、明確なインセンティブのない義務教育からスタートする英語との出会いは、不幸だと言わざるを得ません。私が中学1年生のときに、同級生の男の子が「浅野君、なんで英語勉強しなくちゃいけないんだろうな」と言ったことがあって、私はこの言葉がものすごく真実を語っていると思うんです。英語が「しなくちゃいけないもの」と子どもたちに感じられる限り、日本人の英語力のレベルは、将来もこのまま変わらないでしょう。
そうではなくて、スポーツを例に取るのがわかりやすいけれど、たとえばサッカー少年が「ベッカムと一緒にプレーしたい」と夢を持てば本気で英語を覚えるだろうし、マリナーズの城島健司捕手にあこがれる子どもは、バッテリー間のコミュニケーションを英語でやろうと挑戦するかもしれません。
子どもたちにそれぞれ自分の興味のある世界があり、将来「こうなりたい」という夢がある中で、英語教育というのはそこから出発して、「それじゃあ、そのためには英語ができないとだめだね」と導いていく必要があるのではないでしょうか。
1948年、宮城県仙台市生まれ。東京大学法学部卒業後、70年、厚生省に入省。その2年後、在外研究員として米国イリノイ大学大学院に留学。また、78年から3年間にわたり、ワシントンの在外日本大使館に赴任。帰国後は北海道庁福祉課長や厚生省障害福祉課長などを歴任し、障害福祉の仕事をライフワークと思い定める。93年、23年7ヶ月務めた厚生省を退職し、宮城県知事選挙に出馬、当選。以後、3期12年の任期の間、県政に臨んだ。2013年から神奈川大学特別招聘教授として地方自治論の教壇に立つ。主な著書に『許される嘘、許されない嘘 アサノ知事の「ことば白書」』(講談社)など。